アクセシビリティはビ ジネスか社会的要請か
- To: nap@xxxxxxxxxxxxxxxxx
- Subject: アクセシビリティはビ ジネスか社会的要請か
- From: UMEGAKI Masahiro <ume@xxxxxxxxxxxx>
- Date: Thu, 15 Jul 2004 11:53:52 +0900
みなさん、こんにちは。梅垣です。
タイトルを変えました。私もマクロメディアのセミナーに参加しました
ので、皆さんとすれ違っているかもしれません。エスカレーターを上が
っていく中根さんは見つけましたが声をかける距離ではありませんでし
たごめんなさい。
もしかしたら、皆さんの議論とかみ合わないかもしれませんが、情報提
供と思って読んでくださるとうれしいです。
わたしは、JISの策定に関わりましたがその中で痛感したことがありま
す。それは、実際には障害者のアクセシビリティを向上する作業よりも、
高齢者やその他の多くのユーザが「使いやすい」と感じられるサイトを
作ること、すなわちユーザビリティの向上のほうがはるかに難しい課題
だという点です。例えば、視覚障害者にとにかくも使えるページにする
にはaltをつけたり幾つかの技術的なチェックポイントをクリアすれば
いまや誰にでも作れます。細かい点を調整するのは大変ですが、問題の
90%は比較的容易な解決方法がすでに技術的に明らかになっており、少
しアクセシビリティを学んだクリエーターなら誰にでもできます。本も
たくさんでました。しかし一方で、例えばJISが推奨要件として提示し
た「初心者」「文化的差異(外国人)」「認知的な制限」に配慮して、
使いやすいページを作る作業を想像してみてください。これらの解決策
は明確でしょうか?「誰にも使いやすいページ」などというものは、ま
だ誰にも分からない領域の問題ではないでしょうか?高齢者は、操作の
方法が分からないことがよくあります。たとえば、どこがクリックでき
る場所なのかを見つけられないという認知的な問題があります。何かの
連続したフォームに入力していると、混乱して何をしていたか分からな
くなります。途中で、電話がかかってきたらどうでしょうか?このよう
な問題への対処のほうが、アクセシビリティよりも時間のかかる作業に
なりそうだと思いませんか?このようなユーザビリティの側面の強い問
題に本格的に取り組み始めると、学ぶべきこと、評価すべきことが爆発
して、手がつけられなくなりそうなきがしませんか?
もう一つ。「アクセシビリティの高いページは誰にも使いやすい」つま
りユーザビリティが高いはずだという議論です。これは、確かにそうい
える側面もありますが、そういえない側面もあります。この文言はウェ
ブアクセシビリティを on business にする上でよく使われるスローガ
ンです。だから、ビジネスになるんだという文脈で語られます。私も、
雑誌の原稿なんかでは「altをつけると SEO にも効果がある」なんて嘯
いています。しかし、このことはもう少し掘り下げて考えておく必要が
あります。昨日のセミナーでボブリーガンがスクリーンリーダーでアク
セスすることをNeil Ewers の言葉を引いて、
>スクリーンリーダーを使うのは、ストローの中をのぞきながらウェブ
>ページを読んでいるようなものだ。一度に一つのことしか見えなく
>て、その周りにあるものは何も分からないのだから。
と紹介していました。非常に的を得た表現だなぁと感心しました。しか
し、そうするとストローで世界をのぞいている人と普通に2.5次元?で
世界を見ている人では当然見え方が違います。そのときに、同じ見せ方
で双方のユーザに使いやすいものができるわけではないということです。
これは、単にプレゼンテーションの違い(つまりCSSの切り替え)だけ
で解決できる問題でしょうか。「情報を伝える」例として、駅からある
場所への行き方を説明してみましょう。見える人には、地図や視覚的な
目印が役立ちます。3つ目の信号を右とか、UFJ銀行の角を曲がるとかで
す。しかし、視覚障害者には別の伝え方をしたほうがいいかもしれませ
ん。たとえば、匂いで判断できるパン屋さん、ケーキ屋さんを目印にし
たり点字ブロックの敷設状況や、音で分かるパチンコなどが目印になっ
ていたほうが分かりやすいですね。説明も、手順的になるはずです。た
だ、同じでいいものもたくさんあります。道を説明するには、できるだ
けたくさんの多様な感覚に訴える目印がたくさんあるほうが、誰にでも
分かりやすい説明が可能です。例えば、南北方向を示すことも役立つか
もしれません。駅から徒歩で10分ですと書いてあると、距離感がつかめ
ます。障害のある人とない人ではオーバーラップするところはあるけれ
ど、ユーザの特性が異なる以上、やはり対処の方法は異なって当たり前
なのです。同じことは、大人に説明するときと子供に説明するときの違
いといった視点でもおきることでしょう。
ただ、一般論としてユーザビリティに配慮した使いやすいウェブはアク
セシビリティにも配慮している可能性が高いということはあるかもしれ
ません。ユーザビリティという視点に気がついているウェブクリエータ
ーは、ユーザが多様であってそれらにどう対応すればいいかという点を
気にしているはずです。そういう点では、「誰がユーザか」ということ
を意識して作っている。そういうクリエーターは自然とアクセシビリテ
ィにもたどり着くはずですよね。しかも、アクセシビリティの成果から、
ユーザビリティにも役立つアイデアがたくさんもらえます。フォームの
ラベル付けなんかがそのよい例です。
という風に見てくると、ビジネスライクに問題を解決する(あるいはさ
せる)ポイントは、ユーザビリティとアクセシビリティがうまく融合す
ることではないかと思います。ユーザビリティを考えるとアクセシビリ
ティは向上します。障害者だけをターゲットしていると、障害者って市
場に何人いるの?お客さんになりえるの?ということになってしまいま
すが、裾野を広げて高齢者なんかも一緒に考えていくと、大きなマーケ
ットが見えてきます。そうすることで、企業が意思決定しやすい土壌を
熟成できるんではないかと思います。だって、この不況の真っ只中です
からね。
しかし、別の視点もあります。たとえば、スクリーンリーダーには固有
の問題がたくさんありますが、これに対応するのはやはりアクセシビリ
ティの課題です。場合によっては、一般の人のユーザビリティと相反す
る課題に直面することもあります。わたしは、アクセシビリティは「難
しい課題ではない、ただやるだけだ。コストも最初から考えておけばそ
れほど膨れ上がったりしない」という面を明確にする必要があると思い
ます。ユーディットの濱田さんが講演会で語っていた言葉が印象的です。
「1つのサイトが100良くなるよりも、100のサイトが1でもいいからよく
なって欲しい」と。また、同時にこの問題を工学的、技術的問題ではな
く社会的側面からも見ておく必要があります。石川先生が「配慮の平等」
と仰るのことがまさにそうです。社会と人、人と人が結びつく情報のイ
ンフラがインターネットならば、障害者と社会を結ぶインターネットが
アクセシブルでないといけません。いまや情報アクセスは基本的人権で
あると言われる時代になりましたが、そういう面から社会的責任論とし
てアクセシビリティはやるべき課題であると訴える必要を感じます。
JISの解説で、国や公共分野だけでなく、社会のインフラを支える企業
はにやりなさいと書いたのは、そういう背景から来るものです。
やや結論じみてまとめると、
1. ビジネスの分野からやりやすいことできることはやりなさい。
2. 公共分野、インフラ企業は社会的責任論としてやりなさい。
3. 社会はアクセシビリティの高いソリューションを高く評価しなさい。
4. 国は、アクセシビリティに配慮した技術を優先的に使って市場を活
性化しなさい。
といったことでしょうか。
たくさん書いたけど、見直す時間がないのでなんだか心配ですが・・・・
、nap(お昼寝中)ですからお許しください。
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梅垣まさひろ ume@xxxxxxxxxxxx
http://www.umegaki.jp/