Re: アクセシビリティはビジ ネスか社会的要請か



関根です。梅垣さんのご意見、共感しつつ拝見しました。

UDのものづくりにかかわり始めると、いかに、バリアフリーや
支援技術が、作りやすかったかを実感します。特定ユーザー層の
身体特性に基づいて、そのニーズを満たすことが目的だからです。
しかし、UDの場合、ユーザーは、全人口に対して、使い勝手や
安全性を向上させようとします。非常に多くのユーザー層への
理解を元に、その多くに対し、価値があり満足のいく製品や
建築や社会システムを作り出すことを目的とするからです。

同様に、ユーザビリティを向上させようとすると、アクセシビリ
ティの確保が、実はまだまだ楽なほうであったことに気づきます。
明確な基準もあり、少なくとも最低限の要求事項を守ることは、
不可能ではありません。しかし、ユーザビリティに関しては、
どこまでいっても、認証マークをつけることなどありえないでしょ
う。

アクセシビリティには配慮してあっても、ユーザビリティが低いサイトは
世の中に多く存在します。(もちろん逆も多いのですが)
もし関係者がいらっしゃったらお許しいただきたいのですが、私は
このDINFのサイトでまともに情報を探せた記憶がありません。
たとえばこのびわこ会議の資料です。
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/intl/bf/index.html#mokuhyou-f
外の検索にはひっかかるのでこのページまではいけますが、そのワードに
フォーカスが当たるわけではなく、またこの中のデータは検索できないので、
この何十ページものデータから、必要な情報を、目で読んで探さなくて
はならないという事態に陥ります。何度も途中で読むのをあきらめてしまいま
した。多くのページが、構造化されていないため、自分の位置がわかりにくく、
一個のファイルも巨大すぎて、印刷して読むことも困難です。
視覚障害者にはアクセシブルでも、肢体不自由者や非障害者には決して
ユーザブルではない例だと思っています。

例が長くなってしまいましたが、私自身は、UDとは、アクセシビリティと
ユーザビリティの2つが揃わないとならないものだと考えていました。
これは、沖電気さんの最新の沖テクニカルレビューに出ている三樹さんたちの
意見と同様です。しかし、このところ、米国では、アクセシビリティを
バリアフリーと同様の意図で捉える考え方もあるようです。
最新の季刊ユニバーサルデザインでは、エド・シュタインフェルドに
こう語らせています。「アクセシビリティは、特定の少数グループへの差別
撤廃をめざす公民権である。一方、UDは、市場に誘導される概念だ。法的
義務よりも、多様な人口を背景に持つ現代社会の現実的側面と人口動態の
変化を反映している。」

わたしも、このとおりだと思っています。UDは、法では規制できません。
むしろ、やった企業の一人勝ちになる場合もあると思います。アクセシビリティ
がマイナスをゼロにする試みであるなら、UDは、ゼロから1や10や100を
生み出す試みなのです。トヨタや松下がUDで全社のビジネスプロセスを
見直すのも、そこに市場の可能性を感じるからです。

Webのアクセシビリティを考慮して制作にかかると、必ずユーザビリティの
問題へ行き着きます。単にSRで読めるだけではなく、論理的に構造化され、
直感的に全容が把握できる適切なUIを備えていないと、使えないからです。
また、ユーザビリティに配慮したサイトは、それを制作する過程に
おいて、アクセシビリティにも配慮する可能性が高くなります。ユーザーに
とっての使いやすさを考えるとき、多様性にも配慮することが増え、かつ
これはユーザビリティ全般よりも、実現しやすいからです。

結論へ行きます。アクセシビリティだけを見ると、社会的要請と思って
いいでしょう。でも、そこから進んで、ユーザビリティに配慮し、
最終的に、かっこよくてクールなデザインまでを目指して、ユニバーサル
デザインを理解すれば、それは、客先も、クリエーター側も、ビジネスに
なると思って間違いないはずです。

私たちは、まだ、入り口に立ったにすぎないと思います。面白いことは、
これから起こるのだと思っています。

これから、Night NAPに入ります。では。。。

株式会社ユーディット 代表取締役 関根千佳
(情報のユニバーサルデザイン研究所)
csekine@xxxxxxx  http://www.udit.jp/ 
(6月22日 Webアクセシビリティ講演会盛会の内に終了!)
横浜市青葉区桜台3-67 Tel 045-989-5173 Fax 045-989-5133