Re: 認識障碍



横川です。

ふかがわさん、はじめまして。

>  ちなみに、私なりのセマンティックウェブに関する認識では、
>  メタデータの書き方一つにしても問題を抱えたままであり、
>  なおかつアクセシビリティ云々になるには、支援技術とか
>  ブラウザ(?)、またはOS、端末レベル(?)での対応なしには
>  話にならないのでは、という感じです(突っ込み歓迎です)。

ご指摘の通り、一般にセマンティックウェブといえば、
Dublin CoreとかRDFとかいったメタデータ系の「今後来るべき」技術の
お話であることが多く、
現状でのアクセシビリティ対策と直接結びついてくる事例は少ないように見えます。

しかし情報というものを、出力形態に依存しにくく
コンピュータ自身がある程度自動的に扱える形に持っていく、
という考え方そのものがセマンティックウェブであるとするなら、
HTMLで文書構造と書式を分離するという基本的な考え方とも
シームレスに繋がるものと考えられ、あのような書き方になりました。
舌足らずというか、誤解を招く表現だったとしたら、ご容赦下さい。

私の仕事に即して話をさせていただきますと、
発注者側が提出してくる制作原稿は、
高度に視覚に依存していることがほとんどで、
少しでもアクセシビリティを高めるべく色々と
こちらから提案をさせていただく訳ですが、

このとき、もしも発注者側に
「ウェブにおける情報共有は、特定の出力形態に依存しない」という概念が
常識としてあったとしたら…いやせめて
「自分たちは視覚で考えているんだ」
といった自覚だけでもあれば、ずいぶんできてくるものが違うのではないかな、
という感触を最近強く持つようになりました。

自分たちとは異なったシステムの上に生きている人たちがいるんだ…といった
想像力のようなものが、社会に欠けているなと感じます。

例えば、専門用語を解説するページを作るとします。
原稿には「(用語)(説明文)→○○」と書かれています。→は関連項目への参照を
示し、○○は関連項目(リンク)となっています。
辞書などではごく一般的な表記法ですが、こちらとしてはあっさり「(用語)(説明
文) 関連項目:○○」といった表記にした方がよりアクセシブルなのでは、などと
考える訳ですね。
こういう時、発注側に「音声や点字などでページを読まれている方がいる」「自分た
ちとは違うアプローチで情報を得ている人たちがいる」という発想が少しでもあれば、
提案と話し合いでいくらでも実のあるページ作りができるのですが、
発注側がそんなことは思いも寄らない、という場合だと、
「どうしてこんな簡単なビジュアルがダメなんですか?」
「これで十分誰にでも分かりやすいはずです」という反応しか出てこないのですね。

ここで、アクセシビリティに関する知識がある制作者であれば、
テキストは「(用語)(説明文) 関連項目:○○」にして、
画面表示を「(用語)(説明文)→○○」にするといった対応を取る事は
決して難しくはありませんが、
はたして、発注側の持っている「社会通念」と「アクセシビリティ」との間の
ギャップを、発注側に意識させることなく、制作者が吸収してしまう形になることが
「アクセシブルな制作方法」=「良いこと」だと言えるのかどうか。

これらは、情報教育のあり方なども含めて、
社会全体で考えていくべきことだと思っています。

そういう意味では、ふかがわさんがおっしゃった

>  もう少しだけでも根本的なところがJISに書かれていると
>  よいのではないかなぁと思ってます。

というのは大切なことだろうと思うのですね。
現状、ある程度情報共有の基本理念が分かっている人なら
指針に書かれている内容を十分理解できると思いますが、
根本概念が頭に入っていない人が指針を全部読んでも、
幹となるべきものが一体どのような考え方なのか、
漠然としてしまいそうな気がします。

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横川 祐子(禁魚)
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