Re: 整理と飾り付け



亀井です。(^-^)/

----- Original Message -----
From:     Masafumi NAKANE さん<max@xxxxxxxxxxxxxxxxx> 
Subject: 「Re: 整理と飾り付け」
Date:     Fri, 28 Jul 2006 04:29:19 +0900

> それは一般的には「書籍」ではなくて「文書」というのではないでしょうか。
> 「書籍」というのは、文書を乗せる媒体の一つにすぎないと思います。その意
> 味で、「書籍」と「Web」は同レベルの概念であるというのが一般的な認識だ
> と思います。だからこそ、 Webを紙媒体の置き換えだとしか考えられない人た
> ちが出てくるのだとも思います。

「文書」はあくまでシナリオで云えば一シーンでしょうね。
そして、中根さんの云われる「書籍」は製本化されたものであって、
原稿用紙の段階の「書籍」ではないでしょう。

> 媒体の違いは、その特性の違いにより、それらを構成する要素も異なってきま
> す。たとえば、 Webで言うページと書籍 (本) で言うページは似て非なる概念
> です。その一方で上で挙げられている「段落」とか「見出し」とかいうのは文
> 書の構成要素であるため、その文書が掲載される媒体によらず一定のセマンテ
> ィクスを持ちます。

製本技術以前の巻紙の頃から必要用件にアクセスする術の苦労はあったでしょうし、
逆にページという概念から話を始められるから「書籍」の認識が固定化されると思います。

> そんなわけで、アクセシビリティを考える人たちが重視しているのは、文書の
> 構造です。媒体の持つ特性も考慮すべきですが、その部分はプレゼンテーショ
> ンの制御ということで、文書構造とは分離すべき部分です。

文書構造から必要用件、例えばこの返信文がどのようなやりとりで生まれたのか見る術や
一用語について書かれていたとして、それを再度探し出す術
それらがアクセシビリティではないでしょうか?

検索技法とはまた違う目次、見出しの活用法であり、検索技法のみに依存するのではなく
目次、見出しを付与すればさらにアクセスしやすい話なのじゃないでしょうか?

> 「書籍」と「文書」が同義であるという考え方をされていれば、それは想像で
> きないでしょうね。
> 私も「文書」のイメージが全く適用できない コンテンツはあまり想像できま
> せん。 (が、あり得ないとは思っていません。) しかし、繰り返しになります
> が、「書籍」はあくまでも一つのメディアですから、そのメタファを別のメデ
> ィアであるところの Webに適用できるとは思えません。

メディア論ではなく情報伝達論でしょうね。

お話ししたとおり、映画もシナリオというコンセプトを
構築しなければ伝えたい物が伝わらない設計論から
ただ撮すだけの「活動」からの脱皮としてその物語る論理が始まってますし、
写真や絵画も絵コンテから見せたい物、伝えたい物の技法が始まってます。

ウェブページの良くない例のように挙げられるチラシだって、
印刷物として強調したい文句(見出し)と
それに付与する情報(商品画像や価格、クレーム対策として小さく載せられた商品情報)
これらを絵画的に配置したもの。

看板広告などは強調したい文句(見出し)のみの情報でしょう。

そして、Webが既存の形ある媒体と異なるために、
既存のメディア概念に押し込めた作りをされる事がまた問題であり、
メディア云々の論理以前に情報伝達の理論を思い出しましょうと
する話のように思えるわけです。

> 「作る問題」というのが具体的にどういうことを差し手いるのか、よろしけれ
> ばお教えいただけませんか。

以上の説明でご理解頂けるかと。

写真、絵画、詩、俳句など各作品(文書)ではなく、写真集、画集、詩集など
複数の文書がまとまった形の作り方ですね。

> > アクセシビリティは技術ではなく、技術を活用できる情報整理術だと思うの
> > ですよね。
> 
> その両方だと考えます。

両方とする事に無理があるともいます。
出来る限り、分離し、考える事が出来るならば分離し、
情報伝達の整理論と整理されたものを見せる技術論を考えた方がいい。

映画もその黎明期、ロシアのエイゼンシュテインが
絵画の絵コンテ技法を動画に持ち込み、
アメリカのグリフィスが物語を映画に活用されました。

Webは技術でのみ、既存メディアの取り込みを行おうとしているように思われ、
そうして取り込まれた物に後付としてバリアフリーを施そうとしている。

アクセシビリティの「アクセス可能」がページ化されたものへの「アクセス可能」で
ある以前にその情報を作る上での伝達としての「アクセス可能」が軽視されているから
「アクセス可能」にならないんじゃないでしょうか?

そういう意味で映画などの新しいメディアが生まれた時の
既存メディアの応用理論を参考にされるといいでしょうね。

それをしなかったテレビもコントラスト配慮の字幕付けなど後からのバリアフリーが
なされてますし、世界の映画事情からすれば、文盲多い民衆に合わせ、
字幕よりも吹き替えというバリアフリーが用いられていますから。

> 「情報の整理」という言葉の定義が曖昧なので分かりませんが、「セマンティ
> クスが適切に記述されているコンテンツを作る」という意味ならば、そして技
> 術的課題が全て解決されているという前提であれば成り立つかもしれません。

情報伝達の神秘といわれるクオリア。
銘柄の違うウイスキーをウイスキーと認識できる。
吠える犬と吠えない犬を犬として認識できる。
別物であるのに同種と認識できる人間の認識能力に少し関心持っています。

同種と認識できる人間の認識能力を如何に活用するか、
それが「情報の整理」なのかも知れませんよ。

Web技術というより人間工学に近いでしょうね。

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